ああ川の柳のように

川柳を中心に、短歌、狂歌、詩、都々逸など。 自作も公開。

万能川柳は「傷つける表現は慎むべし」?

 「仲畑流万能川柳手帳」という2冊500円で売られているモノに「万柳道 気らくな十ヶ条」というのが載っている。その中に「一.傷つける表現は慎むべし」とある。これがそもそも実態と違う。実際には人を傷つける表現だらけだ。しかし寸鉄人を殺すごとき諷刺が川柳の醍醐味でもあるのだから、それも当然である。時に揶揄された者を激怒させるようでなければ川柳として面白くない。問題は誰をからかい、何を攻撃対象とするかだ。

 一般論としては、社会的弱者以外は諷刺対象として構わない。もっとも、強者に歯向かう事を「いじめ」とは言わないように、弱者を嘲笑することを「諷刺」とは言わないのだから、諷刺として成り立つ限りは諷刺してよい、つまり、諷刺は対象を選ばないということになる。

 繰り返すが、弱者を嘲笑することを「諷刺」とは言わない。

 万能川柳で以前月間賞になった句に、こういうものがある。

 「自販機でつり銭数える彼を見る 八重根隆」(2007/12/26)

 「万能川柳+α」に出ている私のコメントの一部を再掲する。

 世の中には10円を惜しむワーキングプアな人がいます。そしてそれを横目で見て「セコイな、貧乏クサいな」と思う人も(どうやら)います。この句自体が格差社会を表しているようです。

 「数える」側になるか「見る」側になるか。たしかに人によります。「見られる」ではなく「見る」としていることから、作者氏の立場はわかります。ここに現れないということは、新聞は定期購読していてネットで見る必要のない人でしょう。新聞は専らネットで見ているなんて聞いたら、「セコいな、買えよ」と言うかもしれません。いわゆるネットカフェ難民の暮らしなどには縁のない人なのでしょう。


 万能川柳選者および編集担当者は、このような句が表彰されているのを見て不快に思う人間が大勢いるということなど、想像もしないのであろう。これがあって今回の「月刊大賞」(軍手の句)である。経済的困窮というものに対する彼らの無感覚さをますます露呈する結果となった。

 では貧乏を笑ってはいけないのか? いやいや、決してそんなことは無い。大正初め頃の川柳にこういうものもある。

  貧しさも余りの果ては笑ひ合ひ 吉川雉子郎

 重要なのは、作家としての立ち位置である。ところでこの雉子郎とは、後の小説家、吉川英治である。

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